やかんと鍋と日記と

ぐうたらと生きる。

小鳥が死んでいる

仕事終わりに工場の主電源を落とすため、機械の裏へ回る。その途中で、何かグニュッとしたものを踏んだ。何だろうと思い、下へ目を落とすと、、、

2匹の小鳥の死骸があった。

私は咄嗟に後ずさり、恐怖で腰が抜けそうになった。ついさっきまで生きていたのではないかと思うほどのキレイな身体をしていた。目立った外傷もないから、死因が全く分からない。そんな美しい屍体だった。

私の死に対する恐怖感というのは凄まじく、小鳥たちを供養する義務を果たすことなく、その場を後にした。そして、同僚にそのことを伝えに行く。あわよくば同僚が処理してくれないかとの期待を抱きながら、報告しに行ったのだが、同僚も恐れおののくのみで何もしてくれなかった。

私はこのまま見なかったことにしてやろうかとも考えた。しかし、小鳥たちが亡くなっている場所は仕事をやっていく上で、必ず通らなければならない所だった。このまま、放っておくと来週の月曜にまた小鳥たちを目撃し、朝からブルーな気持ちになることは目に見えていた。だから、私は小鳥のためというよりは、自分のために小鳥を供養することに決めた。

素手で小鳥を持つ勇気は無かったため、小鳥を箕に入れて土があるところまで運ぶ。箕を持つ私の手は震えていた。屍体と相対するということの恐怖を実感していたのだ。





そして、何とかかんとか小鳥を埋葬することができた。






しかし、何故あの小鳥は死んでいたのだろう。

外傷がない2匹の小鳥の死骸。

何か他の生物にやられたのなら、死骸は持って行かれてないだろうし、何かにぶつかったり挟まれたりしたのであれば、外傷が見つかるはずだ。

何か変なものを食べたのだろうか。
もしあの2匹がつがいだったら。そして、つがいには雛がいて、その雛にも変なものを食べさせていたら、、、

そんな嫌な想像をして、さらに嫌な気持ちになった。


車はわたしの動く城

車の中というのは不思議だ。
どう考えても、外であり公共の場であるのに、物凄くリラックスできる。仕事で張り詰めた心が、仕事終わりに車に乗り込むだけでスッと溶け出していく。上司に怒られ辛い想いをする。でも、それでも前を向いて頑張っていかなければならないと、精一杯力を振り絞って頑張る。そんな頑張った私に対し、『もう力を抜いてもいいんだよ。』と言わんばかりに、車の座席のクッションは私を包み込む。

そして、『今度は僕が頑張る番だ。』と言うようにエンジンを震わせ、24キロの帰り道を軽快に走ってくれる。私の気分に合わせた音楽を流してくれる。どれだけアクセルを踏んで無理させても怒らないし、食べ物のクズをこぼしても文句一つ言わない。

そんな車が私は好きだ。

私は仕事場での昼休みにいつも、車へ行き休憩する。あまり親しくもない人と一緒にいては、本当の休憩は得られないからだ。

車の中では、どれだけ無様な寝姿でも晒すことが出来るし、着替えもできる。妙な動きをしながら変顔してもいいし、踊ってもいいかもしれない。

何たってここは私のプライベート空間。
誰にも文句は言わせない。

車はわたしの動く城なのだ。

弟が新聞に載った

弟が新聞に載っている。

弟は昨日、社会人になったのである。
紙面の中で、弟は立派に抱負を述べていた。

私は兄であるにも関わらず、弟のことをあまり知らない。弟は家では、いつもボソボソと話しているため、その内情が読み取れない。だから、弟が何を考えているのかが、全く読み取れない。私たちと話すとき、弟は極めて静かで、たまにフッと息を吐くように笑う音が聞こえるのみだ。でも、大学の友人たちと飲むときは、全裸になったりするらしいから、ますます分からない。ミステリアスなヤツだ。

弟のことで唯一知っていることは頑張り屋さんであるということだ。私と違い、国公立の大学に進学して親孝行をし、今回の就職でも倍率が高い企業にあっさりと就職を決めた。そして、今日の新聞に大々的に載っているのである。なかなかに凄いやつだ。

私は昔から弟の活躍を聞くと、いつも対抗心を燃やしていた。それと同時に何だか誇らしいような気分にもなった。

新聞記事を見たとき、私は醜くも嫉妬心を燃やしてしまっていた。きっと現在わたしが、転職活動をしていることに起因しているのだと思う。やりたいことを仕事にしたいという気持ちが、良い所に就職した弟への嫉妬に変わってしまった。

私は本当にみみっちい兄だ。

でも、弟にはこれから精一杯頑張ってほしいと思う。これは本当のきもち。

遠隔授業

離島や過疎化が進行する地域で、教員の負担を減らすため、巨大なプロジェクターを使った『遠隔授業』が行われるという。

現在、そのような地域では、専門外の授業を教員が補うことで、何とか学校を存続している。そのため、教員の負担の大きさが問題になっているのだ。

そこで、遠隔授業という提案が出た。

プロジェクターには、他校の教室全体が映し出される。そこには勿論、教員と生徒がいて、リアルタイムで授業が行われる。他校の教員が授業を兼任するため、遠隔授業を受ける側の教員の負担が軽くなる。教員の人件費も安く抑えられ、生徒たちも専門性の高い教員の授業を受けることができる。というのが、このプロジェクトのメリットである。

しかし実際問題、本当に教員の負担は減るのかという不安要素が残る。リアルタイムで他校と授業を行うには、他校との綿密なミーティングが必要となるし、問題が発生した場合には、結局教員がその負担を担うこととなる。だから、教員の負担がどこまで減るのかについては、不確定要素が多いのである。

それに加え、私が一番不安視する点は、子どもへの影響である。教員と対面しながら授業を受けられないことは、多感な時期を迎える子どもたちにとって、悪影響を及ぼすのでないかと思ってならない。映像では人の温かみは伝わらず、生徒は寂しい想いをするのではないかと思うのである。

このような技術力の進歩には感心せざるを得ないが、人間の感情に寄り添うという、人間の温かい部分がおいてけぼりになっている気がする。子どものことを本当に考えるなら、心のこともしっかりと考えてほしいと思う。

腹の中に住まう楽団の音色









ピロロロロロ、ギュルルルルル、ピロリ、グギュル。







お腹の中はいろんな音に溢れている。
胃に配属された消化係が、私が無責任に食べたものを文句も言わず、消化してくれているのだ。






昨日の夜、私たち夫婦は名古屋市栄でひとしきりショッピングを楽しんだ後、イイ感じの飲み屋を見つけようと街中をぶらついていた。

すると、高級感のあるおしゃれなBARが目についた。私たちは直感的に入りたいと思った。店先ではステーキをジューと焼いているのが見えて、入店意欲はさらに高まった。そして、少し店先でまごついた後、そんな客寄せパンダにまんまと誘われ、店内に入った。

店内にいる客たちは、スーツを着込んでいる人が多く、店内のムーディな雰囲気も相まって、エリート感が漂う空間となっていた。多少の場違い感を感じながら、席に着く。

コブサラダ、牡蠣とエビのアヒージョ、つぶがいのマリネ、そして、ステーキ。頼んだ料理はどれも美味しかった。特につぶがいのマリネが絶品で、寿司屋で食べるつぶがいよりも弾力があって旨かった。アヒージョには牡蠣の風味がオリーブオイルにふんだんに溶け出していて、パンに漬けて食べると、パンが牡蠣に変わった。私たちは思わずパンのおかわりを3回もしてしまったほどである。

私たちは幸福感を得ながら、家へ帰った。




その夜の腹の音は凄まじいものがあった。まるで、楽団が演奏しているかのように音を立てていた。

アヒージョを消化したら『ピギュルリ』といい、マリネを消化すれば『ポロロロロロン』という。コブサラダを消化すれば『パランボロン』といい、ステーキを消化すると『ドロログギャン』という。

そんな楽団の音色が、心なしか今日は鮮明で良質なものに聞こえた。きっと、良質な料理を食べたからだと思う。

最近会っていない親戚

私は結婚したにも関わらず、ほとんど誰にも連絡をよこさなかった。たいへん非常識な人間だと思う。案の定、父の姉は少し怒っていたようだ。

私の中で、結婚というのが2人だけに関係するもので、他に関係してくるのは両親、兄弟、特に仲の良い友達くらいだと、勝手に思ってしまったのである。

私たちの結婚に興味のある人なんて、殆どいないだろうというのが、私たちの夫婦の総意で勿論結婚式も開いていない。

だから、父の姉が怒っていると聞いたとき、『なんで?』と思ってしまったことを許してもらいたい。

今日は、そんな父方の姉から電話があった。
会話するのは実に5年ぶりくらいだと思う。

昔は正月やお盆に毎年集まって、酒を飲む会が催されていたが、私が成長するにつれ、そんな催しもいつしか無くなってしまっていた。

私は電話を取るや否や、敬語でいくかタメ語でいくか悩んだ。子どもの頃は、敬語などロクに使えなかったから、タメ語を使い笑い合っていた。でも、5年も会っていない相手にタメ語というのも何だか違う感じがするし、敬語だと逆に他人行儀な印象を与えてしまい、あまり宜しくないのではとも思うしで、電話をした直後は葛藤が頭を駆け巡った。

しかし、タメ語を使う勇気はなく、またそれでは上手く話せないような気がしたため、敬語にシフトした。

結果、私の言葉はよそよそしいものになってしまった。寸前まで仕事をしていたこともあり、何だか事務的な受け答えをしてしまい、何だか悲しくなった。

この悲しさをきっと相手も感じ取ったことだろうと思う。『あの子は、大人になって何処か手の届かないところへ行ってしまったのだ。』と思わせるには十分な会話のやり方だったと反省する。

昔のように振舞いたいけど振舞えないという葛藤が、私の心の中に言いようの無い気持ち悪さを残した。

美容師のコミュニケーション能力

美容師にとって、人とコミュニケーションを図ることは、もはや必須事項となっている。なぜ話すことが必要なのか、私には皆目見当もつかないが、そういう風潮があるのだから、仕方がないのだろう。

美容師が話しかけてくることを嫌がる人もいるが、私は嫌いではない。美容師にもよるが、毎日あらゆる人と話してきた人間には、それ相応の面白情報や鉄板ネタをもっているからである。

実際、名古屋に住んでいた頃に通っていた美容師さんは、とても饒舌で面白話をいくつも持っていた。その饒舌ぶりは凄まじく、ついには完全に髪を切る手を止めてまで、話に集中する猛者だった。でも、私はいつも非日常的なロックな精神をもった美容師さんの武勇伝を聞くことが大好きだった。

しかし、現在通っている美容師さんは、とても話が下手だ。言葉が繋がっていかないし、話してる内容が薄すぎて反応に困ってしまう。しかも、本の話やゲームの話、オカルトな話などを私にふってくるのだが、当人はあまりそれらに詳しくなく、結局沈黙を埋めるため、私が物凄く話すしかないのである。オカルト話に至っては、大好きだと言っておきながら、繰り出されるのは聞いたことのあることばかりで薄っぺらだ。挙句に、私が知ってるオカルト知識をいろいろ言っていると、逆に『詳しいですねー』と言われてしまう始末。私は決してオカルトに詳しくはない。美容師さんの『詳しい』の基準値が低すぎるのだ。

でも、別に薄っぺらだということが、悪いことではない。実際、私は特に何も思ってはいない。少し、話していてつまらないなと感じただけだ。

しかし、コミュニケーションが求められる美容師という職において、この応用の効かなさは致命的なのではないかと感じる。お客さんから聞いた色々な話を知識のプールに蓄え、別のお客さんに対し、プール内の知識を組み合わせながら会話をしていく。それくらいの能力は必要なのでは、と思う。








美容師の皆様、偉そうなことを言ってスミマセン。