やかんと鍋と日記と

ぐうたらと生きる。

大蛇が山から下りてくる

追いかけられる夢をよく見る。

追いかけてくるのはいつも猛獣で、私はいつも死にものぐるいで、ソイツから逃れようとしている。そんな夢を連日見るもんだから、正直しんどい。朝から心臓がバクバク音を立てるため、休日の朝だというのに気が休まらないのだ。

今日も朝5時に夢で無理やり起こされることになり、心にモヤァッとしたものを抱えながら、活動を開始することとなった。

取り敢えず湯を沸かす。
昨日、夜遅くまでカラオケに行って、帰ってくると倒れこむように眠りについてしまったのだ。

そして、風呂に浸かりながら、改めて今日の夢のことを考える。










私はそのとき、実家の庭にいた。
実家は周りをぐるりと山に囲まれた小さな集落の中にある。

その周囲の山の奥の方から、けたたましい音が響いてくる。






バキバキバキバキ、ズザザザザザザ、ベキベキベキベキ、ゴリゴリゴリゴリゴリゴリ








全ての音がない交ぜになり、聞こえてくるもんだから、耳がどうにかなりそうだ。

そして、その音の根源が姿を現わす。山頂に奈良の大仏くらいの巨大な蛇の頭が乗っかっている。そのヘビは舌をチロチロと覗かせながら、しばらく周囲をキョロキョロと見渡す。その後、私を見つけたからか、山の頂点からバキバキバキバキと轟音を響かせながらこっちへ向かってきた。

周囲の巨木たちを物ともせず、薙ぎ倒し向かってくる様は、もはや神々しくも感じられた。

しかし、そんな悠長に構えているいとまはない。私は妻を引き連れ、逃走する。車を使えばいいものの、焦りすぎて走ることを選んでしまった。





夢の中の世界の風景は全くと言っていいほど、現実に則したものになっていたが、私の身体に違いがあった。

夢の中の私は、腕が異様に長いのである。その長さは自分の背丈を超えるほどだった。

走る時、私はその長い腕を前方に伸ばし地面につけ、脚で地を思いっきり蹴りあげ腕を支柱にして飛び上がる。空を舞い、次に地面に着地する場所は、飛び上がった場所から30メートルほど先のところである。


体感的には時速60キロは出ていたように思う。

もしかしたら、進◯の巨人を無意識にオマージュしてしまったのかもしれない(笑)

そんな特殊な走法を用いて、蛇からの逃避を試みる。勿論、妻もこの走法を心得ているから、心配はいらない。

私は死にものぐるいで走った。

この走り方での、体力の消費は半端じゃない。でも恐怖心からか、全然疲れを感じない。

何とか蛇を巻くことに成功。しかし、恐怖と不安で、心臓はまだ早鐘を打っている。





そこで、目を覚ます。



実際の私の心臓も高速度に音を立てていた。


夢占いの世界では、何か壁にぶち当たったときに見るのが『何かから逃げる夢』なのだそうだ。


確かに今、私は大きな転換期を迎えていることから、それは正鵠を得ているといえるだろう。


分かってくれる妻

金曜の夜、明日が休みだという熱い情動が抑えきれず、意味もなく21時に家を飛び出す。

そして、意味もなく本屋へ行く。

私の住んでるところは、春にウグイスが鳴くのが聞こえ、夏の梅雨の時期にはカエルたちの大合唱が。秋には、コウロギたちが羽を振るわせ情緒を醸し出し、冬は本当に物音のしないような田舎である。

飲み屋も深夜0時には閉まっていることが多く、田舎の深夜は割に閑散としている。

そんな田舎の情景があるが、本屋は結構頑張っている。深夜0時まで営業しているのだ。
自分でそのような時間に利用しておきながら、こんな時間に人なんて来るのかな、従業員の人が可哀想だと、心配してしまう。

でも、心配はご無用。本屋へ行くと、ちらほら自分と同じような迷える仔羊だちが見られた。

大体は男である。家庭に窮屈を感じている人も多いのだろうか。雑誌コーナーにたむろする中年の姿を多く見かけた。

私はそこでエッセイと知識本を買った。最近はエッセイに凝っている。なんだろう。エッセイのリアリティーのある文章に心が惹かれるのである。

そしてその気持ちは、いずれこんな文章を書きたいという気持ちにリンクしているのだと思う。

今日買ったエッセイは言葉選びが巧みなものだった。最近の本を買う基準が、『言い回しの面白さ』になっているところも、自分で表現したいという心の現れなんだと思う。

本を三冊購入して、時刻は10時普通なら満足して帰途に着くところ。しかし、その日の私は往生際が悪い。まだ、家に収まりたくはないと心が騒いで仕方ないのである。

私はコメダで買った本を読むことに決める。そこで、妻にその旨を告げた。しかし、妻にそのことを告げるのは気が引けた。

私のことをよく知る妻でも、私の奇行を軽く否定してくるだろうな、と思ったからだ。例えば、『エー、何なのそれー』とか言われたら、少し気分がしぼむから、嫌だったのだ。

しかし、妻を心配させるわけにはいかないから、キチンと連絡はつける。基本的に私は子ども染みているが、やることはちゃんとやる。いや、妻にからのちょっとした否定を恐れている時点で、子どもなのかもしれないが(笑)

LINEで恐る恐る連絡すると、少し経ってから携帯が振動した。LINE画面をみると『気をつけて帰ってきてね。』と表示されている。

このとき、やっぱこの人を妻に迎えて本当に良かったと心の底から思った。私を決して否定しないのだ。そして、私のことをよく分かってくれている。

分かっていないのは私だった。

私は妻に惚れ直しながら、コメダで買った本のページをひたすらにめくった。

ヒドく優雅である。

レジの女の子をアイドル化

今日の料理当番は私だ。

昨日も私が担当で、カレーを作ったのだけど、昨日一日で全てなくなってしまったので、今日も作らなくてはならない。次の日に楽してやろうと思ってのカレーだったのだけれど、カレーは食欲が増進され過ぎてよくない。

という訳で、スーパーへ寄ってから帰宅する。最近、野菜が安くなり、料理の幅が広がってきた。

一時期、私の近所のスーパーのキャベツは一玉500円になったことがある。あの時は、目玉が飛び出るかと思った。嫁にそのことを話すと、信じてもらえなかったほどである。今でもキャベツは高いが、後にも先にもあの時が最高値になると思う。






私はチンゲン菜、しめじ、もやし、玉ねぎ、豚肉を次々とカゴに放り込み、レジへ向かう。

レジには長蛇の列ができていた。
現在、時刻は午後6時。買い物のピーク時だというのに、六つあるレジが二つしか解放されていなかったため、人が溢れ出してしまっていた。その列は通路を遮るほど長くなっており、私は仕方なくその最後尾に並んだ。レジ打ちの女の子が長蛇の列に焦りを感じているのか。素早い動きで商品のバーコードをスキャンしていく。あっという間に前から3番目の位置までくることができた。

そのときだった。
隣のレジが解放されそうな雰囲気を醸し出してきた。私は隣のレジへすぐに移れるよう準備した。しかし、そのちょっと後で、2番目に待つ人のことを考えた。2番目の人を差し置いて、我先に隣のレジへ並ぶのはルール違反ではないか。そんな気がして、私はいったん様子見することに決めた。前にいる男が動くのか、動かないのか見極めてから、どうするか決めようという算段をつけたのだ。





そして、そのときがくる。





私の思惑通り、横のレジが解放された。その解放に少し遅れて、前にいる男が動いた。私は隣のレジへ入ることを諦めた。しかし、そのすぐ後に男は踏み出した右足をもといた場所に戻して、私の前に居座った。




まさかのフェイント。





そう思ってまごついた隙に、並んでもいなかったおばさんが横からスイーッと隣のレジに吸い込まれていった。






してやられた…






この二人は共謀していたのではないか、と思うほどの見事な仕事運びである。


私は怒りを収め、レジに粛々と並ぶ。






ここで、先ほど見事なフェイントで私の目を眩ませた男に目線を移そう。彼は30代前半くらいの男で、カゴに入れているのは、お菓子と酒。身なりは少し汚らしい感じであり、独身っぽさを感じさせる風貌をしている。

これといった特徴がない男なのだが、会計が済んだ後、奇妙な行動に出た。




男はレジの女の子に向かって、至近距離で手を振ったのである。



文章では、この光景の違和感をイマイチ伝えづらいが、こう言い換えればきっと分かってもらえるのではと思う。







その男の仕草と行動が、アイドルの握手会にきたガチオタにそっくりだったのだ。





個人的な意見になるが、そのレジの女の子はカワイイ。『1000円お預かりします。』など言って、客の目を真っすぐにみて微笑む様は、天使のようである。それでいて、どこか控えめで優しそうな印象を相手に与える。男なら誰でもドキッとくるような女の子なのである。

だからこの男はきっと、女の子を勝手にアイドル化しているのだろう。しかし、その子はアイドルではないし、怖いと思う気持ちが少なからず芽生えたと思う。なぜなら、側から見ている私が戦慄しているのだから。その男がエスカレートして、ストーカーにでもならなければいいが。

そして、初めからこのレジに並ぶつもりなら、余計なフェイントはやめてほしいと思う。


そんな買い物での一幕であった。

没個性も私

私は疲れてくると、没個性になる。

あらゆるものごとを考察することをやめ、他人の意見を迎合することしか出来なくなってしまう。そして、自分の意見を言って否定されることを恐れ、何も話さなくなる。しかし、話さなくなったら今度は、何か話さなければと強迫的になってしまう。

そんな自分を私は疎ましく感じ、何とか排除しようと試行錯誤してきた。

でも、最近それは無駄なことなんだと思えるようになってきた。

頭が回らないときは、必ずくる。そして、頭が回る日も必ずくる。

人間誰しも、ずっとイイことが続くことはない。

だから、今こそ悲劇のヒロインになることをやめ、前に進もう。心からそう思った。

そして、それが自分を認めるってことなんだと理解した。




つまらない話で申し訳ない笑

野球場にUFOが来た話

小学生の頃に、UFOを見た。
それも、ボヤーとしたUFOではなく、くっきりしたUFOを。


そんな奇異な出来事に遭遇したのは、少年野球の練習の最中のことだった。
少年野球は毎週金曜日の夜に行われていて、学校が終わった後、一時帰宅して夕食を済ませてから、近所の中学校のグラウンドへ向かう。グラウンドへ向かう間、私はいつも憂鬱な気持ちでいたことを覚えている。野球の練習が大嫌いだったのだ。


野球場に漂う空気感が嫌いで、私はいつも逃げたしたくなるような気持ちで、練習に取り組んでいた。中でも、恐い監督からのノック練習が特に嫌だった。監督は各ポジションに着いた、我々に順番にノックをしていく。私は極度の緊張しいで、順番が回って来る前から、心臓がバクバクと音を立てていた。緊張が高まりすぎて、普段なら何でもないようなゴロを取りこぼしたり、トンネルしたりする。すると、監督は鬼のような形相で、罵声を私に浴びせかけた。そこで、すでに私の心はポッキリと折れているのだが、『もう一丁、お願いします』と言うのが、この世界での常識。私は内心とは180度違うことを大声で言うしかなかった。今思うと、あれは子どもにとって、精神的な成長を促すいい機会だったのかもしれない。でもあの時の私は、本当に嫌で嫌で仕方なかった。


そんな思いを、毎週毎週ずるずると引きづっていた私だったが、イイ子ちゃんな私は、親にその気持ちを伝えることなく、少年野球を2年間全うした。
あの時の私は、本当によく頑張ったと思う。


そんな私にも、一つだけ好きな練習があった。それはマシーンから空高く射出されたフライを、落下地点にいち早く移動して、キャッチする練習だ。機械から打ち出されるから、気が楽だったし、キャッチ出来たら、コーチが一段階難易度を上げてくれて、それも成功したらまた一段階というように、何だかミッションを課せられているような気がして、面白かったのだと思う。




UFOはそのフライ練習をしているとき、不意に現れた。

いつも通り、白球が機械から吐き出され、空高く打ち上げられる。私は瞬時に上を見上げ、落下位置を目指そうとした。

そのとき、私の目が視界の端に奇妙なものを捉えた。今の何だ。私はハヤル気持ちを抑えつつ、まずはフライを捕ることに集中した。

難しいフライをキャッチし、改めて空を見上げる。


そこにはやはり、奇妙なモノが浮かんでいた。


それは楕円形をしていて、側面に大きなオレンジ色の四角いガラス窓のようなものをぐるりと貼り付けられた物体だった。ガラス窓があまりにも大きかったため、そのほとんどをオレンジ色が占めていた。そして、夜空に描かれた絵のようにその場所にとどまっている。


私がそれを見ながら、ぽかんと口を開けていると、徐々に周囲もざわつき始めた。少年から少年へ。ざわめきは一気に伝染し、運動場が興奮に包まれた。


しかし、大人たちは伝染しなかったようだ。少年たちがその物体にうつつを抜かしている中、大人たちは至って冷静で、練習に集中することを促した。

他の少年たちも次第に飽きて、練習に頭を向け始めた。

私はその物体が気になり、チラチラ、チラチラと練習の合間に盗み見ていたが、私も例にもれず、次第に興味をなくしていった。

そうこうして、一時間くらい経った頃だろうか。上を見上げると、そこに不可思議な物体はなくなっていた。

そして、何事もなかったかのように、また日常が始まった。


あれは何だったのだろう。
未だに鮮明に脳裏に浮かぶ、少年時代の衝撃的な出来事である。


金銭をせしめるキャラクターたち

先輩社員がアンパンマンミュージアムのグッズの値段の高さに怒り心頭だったらしい。アンパンマンミュージアムのポップコーンやドリンクが高すぎて、ボーナスが泡となって消えたという。

さらにアンパンマンミュージアムでは風船までも、売っているらしく。私はキャラクターを担保にして、何でも売る精神に恐怖を感じた。

私の中での、風船は無論タダで手に入れられる。いくらアンパンマンのイラストがプリントされているとはいえ、タダだという認識は変わらない。

そして、タダだから子どもが風船を手放して、空の彼方へ消し去ってしまったとしても、笑顔で対応することが出来るのだ。

親の子どもの笑顔を見たいという欲求につけいるアミューズメント施設には、つくづくウンザリさせられる。

私自身、以前ディズニーランドへ行った時、ポップコーンの高さに驚いた。ディズニーのキャラクターが効果的にあしらわれたそのケースは普通のポップコーンであるにも関わらず、確か2000円を超えてくる。心中で『これがネズミの国のやり方かぁあぁ!』と漏らしてしまったことについてはご容赦頂きたい。

もっと驚いたのは、パレードに使われるサイリウムの値段の高さである。あれも確か3000円以上はした。(うろ覚え)
しかし、皆金銭感覚を麻痺させてしまったのだろう。沿道には蛍の群れのような光が埋め尽くすように並ぶ。しかし、それを買ってしまう気持ちも分からなくはない。買っていない者は、何か疎外感のようなものを感じてしまうからだ。

だから、アミューズメントパークの商売は良く出来てると思う。キャラクターに付加価値をこれでもかというくらい乗っけて、高値で売りつけてくる。

これ以上話すと、その界隈の人に消されそうなのでアミューズメントパーク批判はここまで。


それに対し、住宅展示場のサービスはスゴいらしい。何でも、ポップコーンはタダ、もちろん風船も無料で、おまけにヒーローショーも見られる。そして、親も家をいろいろ物色できるから楽しいらしい。住宅展示場は親にとってのまさにオアシスになっているとのこと。


だから、住宅展示場、ときどきアミューズメントパークという割合が一番良さそうだ


始業日は果たして、、、

仕事の始業日が定かではない。
きっと明日だと思う、しかし、もし違ったら『新年早々気合が入っとらん』と課長に怒られ、周囲の職員たちにクスクスと笑われるのだ。

私はその醜態に耐えうる精神力をもっているだろうか。

いや、ない!

今朝そう結論を出し、取り敢えず職場に向かうことに決めた。昨日の夜から続く不安な思いにピリオドを打ったのだ。

しかし、ピリオドを打ったは打ったで辛いものがある。何せ、昨日まで明日という空白の時間に胡座を掻いて、のほほんとしていたのが、急になくなったのだから、その衝撃は大きく、私の心は深い穴の底へ落ちていった。

今日から仕事なのかもという思いと、『きっと明日だよ』と言う天使の囁きが入り混じり、何だか気持ち悪くなってくる。

いっそのこと、仕事解禁ならその事実を早く知っておいた方が、気が楽になるというものだ。微妙な希望が見え隠れするから、私の心はどちらに舵を切ればよいのか分からなくてモヤモヤする。

同僚に聞けばいいじゃないかという意見もあるかとは思うが、私の職場には先輩しかおらず、何かそれを聞くのは気が引けてしまう。

ならば、どうするか

行くしかないっしょ!

私は仕事スイッチを嫌々ながらバチっとオンにし、車に乗り込んだ。心臓はバクバクと音を立て、最後の審判を今か今かと待っている状態だ。

そして、何か手がかりを掴めないかと、車に乗っている人を逐一見たりして、必死に真実を確かめようとした。

しかし、良いのか悪いのか、職場の人間が車を運転しているのは確認できない。希望の光がまた少し影を伸ばしてきて、私はまた気持ち悪くなる。

どっちだ!どっちだ!と頭の中で反芻する。

私の職場はド田舎にあり、普段行き道に車通りは少ない。

しかし、今日は違った!

私の車の前を5台くらい車が連なって走っている。私は観念した。前を走る車たちはおそらく私の会社の人間たちで間違いないだろう。

ああ、神様!私は働きたくないのです。アーメン。

と唱えている間に職場に着いた。
私はドキドキしながら、駐車場へ向かう。








駐車場には人っ子一人いない。







勝った、、、


嬉しさが溢れるかと思いきや、何だか無駄に心を消耗していて、うまく自分の感情を理解することができなかった。


しかし、今日仕事でなかったことに少し感謝しながら、そのまま来た道をゆっくりと戻った。


何だか気が抜けて、無気力になった。