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やかんと鍋と日記と

ぐうたらと生きる。

おおきな大人になろう。

見知っているといった程度の間柄の人たちと飲みに行く。

親しい間柄でないから、内容の薄い外面を取り繕うためだけの言葉が行き交う。そして、皆否定したりされたくないから、自分が本当に思っていることには蓋をして、常識的なことを話していく。

私は常識的なことを押し付けられると、反発したくなる。でも、親しくもないから、反発しにくい。この状況が物凄くストレスになる。

常識は、その地域、年代、性別によって全く異なることであるにも関わらず、多くの人がそう言っているからという理由で、自分の考えに強い自信をもち、人の人生に介入する。

私は最近、世間の『暗黙の了解』的なものによく苛立ちを感じてしまう。常識から外れたことを言うことが、まるで悪であると断言するかのような態度に辟易するのだ。

特に私のような心根の弱い人間にとって、自分たちの常識を疑わない人々に異なる意見をすることは、尋常でないストレスになり得る。

常識を述べる者と述べない者の間には、初めから理不尽なパワー関係が築かれているのである。

そういったパワー関係をもろともせず、常識と非常識の合間をスルスルとかいくぐれる人間が、きっと人望を集め、大きなことを成し遂げるのであろう。

ならば、常識的なことを強要してくる人間をむやみに拒絶するのではなく、そういった考えを持つ人を受け入れつつ、自分の意見を述べることを諦めないことが、肝要なのではないかと思う。

一度は、人を理解しようとする。それで、やっぱり合わないなと思えば、手放せばいいだけである。

人との関わり合いに臆するのではなく、色んな人の考えを吸収する。そして、おおきな大人になろう。


そう思った。